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福岡高等裁判所 昭和61年(ツ)27号 判決 1987年5月14日

上告人

国民金融公庫

右代表者総裁

田中敬

右訴訟代理人弁護士

合山純篤

被上告人

佐藤昭治

安村晴美

石松裕美

右三名訴訟代理人弁護士

矢野正彦

主文

原判決を破棄する。

本件を福岡地方裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人合山純篤の上告理由について

一原審が適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

1  亡佐藤春生(以下「春生」という。)は、昭和五一年一一月一二日、訴外環境衛生金融公庫との間で、訴外菅野アイ子の同公庫に対する一〇〇万円の借入金債務につき、上告人外一名と共に本件連帯保証契約を締結し、その際、春生らは上告人に対し上告人が同公庫に代位弁済したときは、右弁済金と遅延損害金(年一四・五パーセント)とを連帯して支払うことを約した。

2  上告人は、同公庫に対し昭和五七年一月四日合計八二万三〇八四円を代位弁済したので、春生が昭和五三年五月二〇日死亡した後の昭和五七年二月一六日、同人の妻である一審被告佐藤キヨ子、子である被上告人三名が本件保証債務を相続したとして、同人らを被告として代位弁済金の支払を求める本件訴訟を提起した。

3  ところで、春生の一家は、春生とキヨ子が昭和二七年婚姻し、被上告人ら三名をもうけたが、昭和四〇年一月以降キヨ子は三子を連れて実家に帰り別居するに至つた。春生は北九州市内に店舗を構えマルエス商会の屋号で輸入菓子の卸売等を営んでいたものであり、キヨ子とは死亡時までの一三年間往来がなかつたが、その存命中長男である被上告人昭治は高校、大学時代に店に行つて月謝や小遣銭をもらつたことがあり、その余の被上告人らも店に出入りしていた。春生死亡当時、被上告人昭治は大学を卒業して川崎市方面に就職し、長女の被上告人晴美は短大を終え結婚して東京都内に在住し、二女の被上告人裕美は短大進学直後であつた。キヨ子と被上告人昭治は入院先で春生を看病し、その遺体を引き取り葬儀をとり行ない、その余の被上告人らも右葬儀に参列した。次いで、キヨ子は春生が住んでいた借家にあつた家財道具類を始末し家屋を家主に明け渡した。なお、前記マルエス商会の営業名義人は春生の死亡数ケ月以前にキヨ子の連れ子松本某に変更されており、不動産や預貯金、保険金もなかつた。被上告人らは春生の遺産相続は念頭になく格別の調査をしなかつた。

4  キヨ子は、たまたま、上告人北九州支店から春生宛の文書が回送されてきたので、昭和五三年六月五日、同支店に春生死亡の事実を知らせたところ、同支店より本件保証債務の話を聞かされ、同月七日同支店の担当者より春生の妻として債務を相続する旨の説明を受け、その後も同年一一月二二日本件保証債務の処理について電話照会を受けた。

5  被上告人らは昭和五七年二月一九日本件と類似の別件訴状の送達を受けたキヨ子からの電話により本件連帯保証債務の存在を初めて知り、キヨ子と共に同年四月七日福岡家庭裁判所小倉支部に相続放棄の申述をし同年五月二七日これを受理された。

二右事実関係のもとにおいては、被上告人昭治、同晴美は、春生の死亡の事実及びこれにより自己が相続人となつた事実を知つた当時、春生の生活歴、すなわち、春生は生前、借家住いをしながら店舗を構え商売を営んでいたものであり、右被上告人らはキヨ子のように長年月没交渉であつたのではなく、学生時代には月謝や小遣銭をもらいに春生の店に出入りしていたのであるから、右春生の生活状態を認識していた筈であり、そうだとすれば、死亡当時、家財道具や借家のほかに何らかの積極消極の財産を残していたのではないかと一応考えるのが一般常識に合致する。これを、春生には不動産や預貯金もなかつたから全く他に遺産がないと信じ、春生の相続財産についてその後は何らの調査もしなかつたとすれば、右被上告人らには右の点について過失があつたというべきである。現に、被上告人らの母キヨ子は昭和五三年六月から同年一一月までの間に三度、上告人側から本件保証債務の存在を告げられその処置を問われていたのであるから、社会人である被上告人昭治や成年の主婦である被上告人晴美らとしては、母キヨ子に、一言、亡父の遺産関係がどうなつているのかを聞き出せば本件保証債務の存在を知りえたはずであり、その程度の調査を被上告人らに期待することは、母子関係の有り様からしても決して難きを強いるものではない。

してみれば、右被上告人ら両名は、別件訴状の送達を受けて本件保証債務の存在を知るまでの間、相続財産の存在を認識することが著しく困難であつて、相続財産が全く存在しないと信ずるについて相当な理由があるとは認めがたいから、民法九一五条一項所定の熟慮期間は、同被上告人らが本件保証債務の存在を遅くとも認識しうべかりしであつた昭和五三年一一月二二日から起算されるべきであると解するのが相当である。したがつて、同被上告人らが昭和五七年四月七日にした本件相続放棄の申述と同年五月二七日になされた受理は、いずれも不適法と解すべきである。そうすると、原審がこれを適法と判断した点に、同法の解釈を誤つた違法があり、この違法は原判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、破棄を免れない。

三原審は、被上告人裕美が未成年者の間は民法九一七条により同法九一五条一項所定の熟慮期間は同人のため進行しないと判断したが、その理由とするところは、同被上告人の法定代理人たる親権者母キヨ子において、「子供達を引き取つて事実上離婚し、妻子とも春生とは無関係になつたので、子供達に責任が及ぶとは全く思つていなかつた」うえ、上告人担当者からの説明もなかつたため、本件保証債務の相続を理解するに至つていなかつたからである旨判示する。しかしながら、夫の債務を妻と子が共同して相続することは妻であり母である者の誰でも知つている一般法常識であるから、前示のとおりキヨ子において本件保証債務の存在を知つた昭和五三年六月七日の時点をもつて、同被上告人のためにも同時に相続が開始されたことを知つた時として、熟慮期間を起算すべきであつて、これを知らなかつたとする前示原判決の認定は経験則に反し首肯しがたい。そうすると、原審か被上告人裕美について、同人が成年に達するまで同法九一五条一項所定の熟慮期間が進行しないと判断したのは、同法九一七条の解釈を誤つた違法があり、この違法は原判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。

四ところで、本件について被上告人らは前記相続放棄の抗弁のほかに、信義則違反の抗弁を主張をしているので、右の点についてさらに審理を尽くす必要があるから、本件を原審に差し戻すこととする。

よつて、民訴法四〇七条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官高石博良 裁判官堂薗守正 裁判官松村雅司)

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